源頼朝の墓/北条義時の墓→荏柄天神社→鎌倉宮へ

鶴岡八幡宮のお次は源頼朝の墓へ。ついでに大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主役である北条義時の墓も近くにあるのでそこに寄ってから、荏柄天神社、鎌倉宮への抜けて金沢街道エリアに向かうのが今回の記事の範囲。

荏柄天神社と鎌倉宮はともかく源頼朝の墓なんてのは大河ドラマの影響でもなければ誰も立ち寄らなそうな場所だと思いました(個人の感想です)。

 

徒歩マップ『鶴岡八幡宮から源頼朝の墓/北条義時の墓と荏柄天神社を経由して鎌倉宮へ』

源頼朝の墓へ向かうには鶴岡八幡宮の大鳥居の方から出るのではなく東側にある東鳥居から出た方が良い。左側にある横浜国立大学教育学部 附属鎌倉小学校/中学校沿いに歩いていくと所々に源頼朝の墓への案内板が設置されているので案内通りに進めばOK

源頼朝の墓も北条義時の墓も階段を上がった先にあります。特に大江広元の墓は一段さらに高い場所にあるので中々に体力を使うかと思います。

荏柄天神社へも鎌倉宮へも案内板通りに進めば問題なく到着することができます。マップ上だと鶴岡八幡宮の東鳥居から鎌倉宮まで1kmほどなんですが、実際は階段をかなり上がったりするので予想よりは大変だと考えておくと良いでしょう。

 

白旗神社(西御門)隣の階段上に位置する『源頼朝の墓』

写真左にあるのが白旗神社。階段を上った先に鎌倉幕府初代将軍 源頼朝の墓があります。こんな辺境の地なので観光客が絶えない。恐るべし大河ドラマ効果。

頼朝さんの墓を拝むためには、この長い階段を上る必要があります。階段の両側に手すりがあるので足が多少弱い方でも訪れられるかと思います。

階段を上りきると目の前に現れる石塔こそが目的のお墓。写真だと誰もいないように見えますが、とにかく人が絶えない。この写真を撮るために5分以上待機しました。

この後で上がってきた階段を下りたら左側へ進み、再度長い階段を上ったところに北条義時の墓があり、そこからさらに長い階段を上ったところに大江広元の墓がありました。が、石塔があるだけなので敢えてブログに載せるほどでも無さそうだったので掲載は割愛。気になる人はご自身の足でお参りしてきてくださいませー

 

学問の神「菅原道真」を祀る日本三古天神『荏柄天神社』

源頼朝の墓/北条義時の墓の階段を下りて1区画先の交差点を左に進んでいくと左側に荏柄天神社の鳥居が見えます。社務所には鉛筆をはじめとした筆記用具が販売されておりました。合格祈願もしてくださるようです。なぜ筆記用具や合格祈願かというと、ここは学問の神様として有名な菅原道真公が祀られている社らしい。

その昔は荏柄山天満宮とも呼ばれ、福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮とならび、日本三大天神と呼ばれていたとか。今現在の日本三大天神は福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮、山口の防府天満宮となっているため、今では日本三古天神とされているらしい。

御朱印は社務所でいただくことができました。こちらも書置きのもの。学問の神様とのご縁を結ばせていただきました(合掌)

先ほどの写真は拝殿の正面からだったのですが、こちらは鉛筆塚から見たもの。境内に多く植えられている枯れ木は、おそらく1、2週間後には桜が満開になることでしょう。

で、こちらが鉛筆塚。漫画「かっぱ天国」の作者:清水崑の遺志を継いで横山隆一が建てたものとのこと。すでに横山隆一も亡くなられておりますが、鉛筆塚は今もなお多くの人が訪れるスポットとなっています。

この鉛筆塚には154人の漫画家が描いた154匹の蛙が描かれています。この漫画家ってのがこれまたビッグネーム。手塚治虫や藤子不二雄、水木しげる、つのだじろう等々。

先日、藤子不二雄Aが逝去されましたね。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

明治天皇の勅命によって後醍醐天皇の子 護良親王を祀るため創建された『鎌倉宮』

今回の記事の最後は鎌倉宮。こちらは後醍醐天皇の皇子である護良親王が祀られた神社です。この近くに護良親王のお墓も建てられています。

鳥居から本殿までの参道。左側にあるのは売店。御朱印は奥に見える鳥居の右側の建物でいただきます。鎌倉宮の御朱印は両開きの2ページのものです。こちらではコロナ禍にも関わらず直書きしていただけました。なので、番号札をいただいて記帳が終わるまで参拝することにします。

寅年のためか虎のぬいぐるみ。毎年変わるとしたら来年もぜひ訪れたい。ウサギの可愛いぬいぐるみが置かれているでしょうから!

手水舎。SNS投稿用のためか「鎌倉宮にいます」と印字されたハート側の団扇も用意されていました。で、なにやらたくさんの赤い物体が水に浮かべられております。

鬼のような獅子舞のような。コロナ対策のために手水は止めている代わりに置かれているような気がします。ということはこれが見られるのは今しかない?!

本殿ですね。こちらに護良親王が祀られています。この本殿の裏手には護良親王が幽閉されていたとされる土牢をはじめ、森林浴を楽しめる神苑、宝物殿があるようでした。この時は知らなかったのですが、別途拝観料を支払えば誰でも拝観できたようです……

神苑は紅葉が綺麗なようなので、またその時期にでも伺おうかな。

本殿右隣の村上社。ここに祀られている村上彦四郎は護良親王の忠臣だったと云われています。護良親王を最期までお守りし、死ぬ間際に自分の内臓を敵に投げつけた壮絶な死に様は現代までも強く語り継がれています。

 

記事が長くなってきたので今回はここまで。次回は永福寺跡を通って瑞泉寺に向かいます。

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