クレムリンの南端から見えた大聖堂。次の目的地はあそこだ。
直進することはできず、右から迂回するか左から迂回するしかないようで。先行く人々が左へ進んでいたのでそちらに進んでみました。
すぐに道路の下を通るガード下に差し掛かったので、そこを右折。大通り沿いに真っすぐ南下します。
途中で左側に見えたビル。もう廃墟なのかな? そして道路は渋滞。モスクワは渋滞がひどい街らしいけど、本当に混んでますね。運転したくない運転したくない。
数分歩くと右側に門が出現。ここを入っていきます。他にも数人一緒に入ってきたので観光客でしょう。
木々の間をぬって進むといきなり現れる大聖堂! 丁度日が沈みかけてていい感じのコントラストを醸し出しています。
ちなみに(後で知ったのですが)ここは救世主ハリストス大聖堂という名で、ロシア正教会の聖堂です。ハリストスとはキリストのロシア語読みですね。なんとこの大聖堂の高さは103 mもあって、世界中の正教会の中でもっとも高いんだとか!
建立されはじめたのは1812年のナポレオン戦争にまで遡り、その戦勝と戦没者を弔うことを意図して建てられました。その後、1917年のロシア革命で一度は壊されかけましたが、1990年頃から再建活動が開始されて2000年に現在の形となりました。
大聖堂の正面の高台にまたもや銅像。本当にこの国は銅像が好きですね。おそらく何かの英雄なのでしょうが…… もしやこれが救世主ハリストス??
銅像から見下ろした風景。ジュースや軽食の露店がポツリ。もう時間が時間なので閑古鳥ですが、日中は結構な人が買いに来ているのではないでしょうか。
ここが大聖堂の入口の模様。もちろん閉まってるんですよねー。この画像の階段を上るとすぐに地下鉄の駅です。本来は地下鉄でくるべき場所なんでしょう。
この近くにプーシキン美術館があることは分かっていましたので地下鉄に乗らずに、大聖堂に入ってきた方の反対側から脱出。するとすぐに大通りがあって、再び北のクレムリン方向に戻ります。
ちなみにプーシキン美術館はロシアでエルミタージュ美術館に次ぐ規模です。その美術品の収蔵数は10万以上とも! 有名どころとしては、ゴッホ、ピカソ、ルノワール、モネ、ドガ、セザンヌ、ブーシェ、ゴーギャンなどなど…… まぁあげたらキリがないくらい凄い美術館なんです。
当時モスクワ大学の芸術学部学部長のツヴェターエフ教授によって1912年に建てられました。ちなみにこの翌年にツヴェターエフ教授は死没しています。天寿を全うしたってことでしょうか。
歩いて1分もしないうちに左側にそれっぽい建物。道路を渡ろうとするけれども…… 渡れない!?
ここは車がビュンビュン通る大通りなのに信号がないという驚愕の事実! ロシアン交通ルールでは歩行者が優先らしくて横断歩道がある場所は車は止まらなければならないようなので一歩踏み出せばいいらしい。でも、その一歩が怖い 😥
日本に住んでると信号機が当たり前なのでこういうのが怖くて怖くて。
丁度道路を渡るロシア人がいたのでその人が進んだのをみて自分もレッツゴー! もちろんその人の影に隠れるようにしてたけど、車が徐々にブレーキダウン。なんとか渡り切ることができました 😛
で、先ほどの建物はやっぱりプーシキン美術館。入口の上にはロシア語で「国立A.S.プーシキン造形美術館」と書かれてますね。あれ? プーシキン美術館にしては小さすぎない?? 奥行きが長いのか分からないけど、なんか閉まってるし仕方がないからそろそろ空港に戻るか、と思ってそのまま横断歩道を渡って北へ。
すると、ん?
何やら立派な門が。警備員?
閉館時間を過ぎていたようなので隣の入口から中を隠し撮りすると立派な正門。ああ、これがプーシキン美術館か、とそのとき納得。おそらく先ほどのは別館か何かだったのでしょう。今度こそは開館時間内に……!
とぼとぼ最寄りの地下鉄駅に到着。
丁度手持ちの現金は50ルーブル。これを使ってベラルースカヤ駅に戻ろうと切符を買おうとして50ルーブルを入れると、なぜか40ルーブルと表示され。返却ボタンを押しても40ルーブルしか出てこない。現金もうないよ…… ってことでここから道が分からないまま8 km近く歩いたとさ。